長崎の同級生殺害事件
なんとも痛ましい事件が起きてしまった。詳しい情報が入れば入るほどから恐ろしくなる。
いろんな人が意見を書いている。
「「命の大切さを」とか、「ネットは怖い」などという月並みな意見が大半でどうもなんかな〜」というのは「日々適当なblog」さん。でも私がちょっと見てみた限りではそういう意見ばかりでもなかったような気もする。いろいろな意見のblogをさっとめぐりつつ、全然まとまらないだろうことは目に見えているけれど、ちょっと考えてみた。
議論をしているとすぐカッとなる、というのはよく遭遇する場面。どうしようもないようなやり取り。もうホントにコドモじゃないんだから勘弁してくれよ、と思ったら本当に子どもだったなんてことがある。
・・・でも「コドモ」じゃないこともある。「純粋なココロ」さんは「ネットを周っていると、大人の私ですら、感情的になることってあるからなぁ。」という。
今回の事件の切っかけはインターネットだった。でも電池@net blogさんがいうように、「ネットを悪者すれば済む話かというと、それも違う」んだと思う。「無意味なブログを検出しました!」さんも「また、ネットを悪者にする気なのか?」と迷惑がる。
自称「インターネット・ジャーナリスト」とか「専門家」が出てきて、「インターネット上のコミュニケーションはですねぇ・・・」。そのうち「フレーミング」なんて言葉が独り歩きしだすのだろう。なんだかなぁ。
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「ごく「普通」の子どもを殺人犯に変えてしまうインターネット」?
そもそも加害者は「普通」だったんだろうか?。ことのはの日々さんの指摘するように、「まあ確かに精神障害とか知能遅滞とかそんなんじゃないですから、「普通」と書くしかないでしょう。」ホントにそうだ。で、報道されているその「普通」ってどういう意味だろう。
少年犯罪が「社会問題化」しはじめて以降、マスコミがとっても好きな構図が見えるような気がする。どこにでもいるような、ごく「普通」の子どもが事件を起したんですよ!これはどこか遠いところの特殊な話じゃないんですよ!、と警鐘をならす。警鐘を鳴らすのは大事かも知れない。でも「普通」を強調しすぎるあまり、問題の本質を見失っている気がしないでもない。
「ごく「普通」の子どもを殺人犯に変えてしまうインターネット」というのだったら、やっぱりそれはぜんぜんちがう。たしかにネット上のトラブルはこじれやすいかもしれない。実際文字によるコミュニケーションはむずかしい。でも、へのへのかっぱさんの記事でも指摘されているように、それは交換日記だって一緒。それにネット上でどんなにカッとしたって、カッターナイフで相手を切りつけに行くのはけっして「普通」じゃない。
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「今の時代、子供を育てるのは本当に大変だよね。」と締めくくられていた記事があった。(Sunny Sky : Blog)ほんとにそうだよなぁ、と思う。いろんな影響がある。もちろん、インターネットもその一つなのだろうけど、それだけじゃない。いろんなものに接するときに、おとなは気をつけてあげないといけない。ますます細かく気を使ってあげないといけなっくなってきている。
どんどんそうなってきている時に、「おとな」たちはどこで何をしているのだろう。