日本の片隅でカセットテープを交換する
「世界の中心で、愛をさけぶ」で交換○○は流行るのか!?(もけもけアイランドblog)
「交換カセットテープ」。あれ、なかなかよいと私も思いました。
でもドラマだからいいのであって、実際にはそんなにいいものでもなさそうな気がする。録音された自分の声を聞くだけでなんだか恥ずかしくなってくるのに、気恥ずかしくて仕方がない気がする(笑)録音している時に、はっと「録音している自分」に気づいたりしてしまったりなんかするととても妙な感じがしそう。それに録音しているのが綾瀬はるかだから絵になるのであって、自分に置き換えてみたら・・・げげげって、そんな感じがする。
それでもやっぱり「なんかイイ」。
「カセットテープ」というものに対するノスタルジーというものもあるのかもしれない。あまり「カセット」を見かけなくなった今、やるとしたらMD?・・・そう考えてみるとよくわかる。別に同じようなものなのだけれど、とにかく「MD」だなんて絶対ダメなのである。もちろん、手っ取り早くmp3ファイルにして送りあうなんていうのは言語道断。「交換カセットテープ」にはあるすてきな感じがMDになったとたん、なぜか急にしぼんでしまう。
プリントアウトされたものよりも手書きの方が「暖かみがある」なんてことは良く言われるし、「交換カセット」をいいなと思うのは、それと少し似ている。でもちょっと違う気もする。カセットテープだって「機械」なのだし。
でもそれはどこか暖かみのある機械、ではあるのかもしれない。なにしろ「カセット」。「ガチャッ」と押すとテープがくるくる回るというあの機械仕掛けな感じ。中で何が行われているのかが分からなくなる前(笑)の、古き良き時代の家電製品という感じがする。機械は機械でもその中途半端な感じがなんとも心地よいのだろう。
それにメールと違って何か確かなものを交換しているという感じもあるのかもしれない。メールで「情報」そのものをやりとりするのではなくて、手にとることのできる確かなものを。これはカセットに限ったハナシではないけれど。
どんなに時代が変わっても人間の本来持っている感覚って結構古くさくて、「目に見えるもの」「手に取ることができるもの」以外を受けいれるというのは案外高等な技なのかも。
トラックバックありがとうございました。
「交換カセットテープ」の良さにも共感していただけて嬉しいです。
あのドラマや映画、原作の感想は山のようにみかけるけれど、交換テープについて触れられている感想は少ないですよね。
でも、たぶん、あの物語自体の切なさ、ノスタルジックさを高めるのにも「交換カセットテープ」は一役買ってるんじゃないかなぁ。
ハイテク社会になるほど、ノスタルジックなものにあこがれてしまうのかもしれない。
でも、最近の面倒くさがりな中高生に受け入れられるかどうかは「?」です。
なにしろ彼らは、ポケベル入力での軽快な携帯メールに慣れてしまっているようなので。