さきほど外に出たら急にざざーっと雨が降ってきて、道ばたでセミが死んでいた。
子どもの頃はよろこんで採っていたのに、今となってはじっくりと見れば見るほど気持ちの悪い生き物に思えてくる。とても妙な感じ。雨にうたれている「彼」の顔を改めて覗き込むと、どこか地球外からやってきた生命体のようで、こんなものを素手で掴んでいた子どもの頃は、じっくりと見ることもなかったのかも知れないなと思ったりもした。
帰ってくると眞鍋かをりさんのブログが更新されていた。ちょうどセミの話題で、生きているセミと死んでいるセミの見分け方が書いてある。
眞鍋かをりのここだけの話: くまゼミは貴重でした
完全に死んでいるセミはきっちりと脚を折り畳んでいるのに対し、
まだ余力を残している奴は少し脚が開いているのです。
そんな見分け方があったらしい。知りませんでした。
しかし脚の開き具合なんて細かいところを観察している時点で、やっぱり子どもでもちゃんと見ていたのかもしれない。だとしたら、ちょっと年をとっただけでなんとなく気持ち悪くなってしまうのはなぜなんだろう。
そう考えてみると、その見分け方も、知らなかったのではなくて、単に忘れてしまっただけなのかも。なんだか、少し寂しくなる。